寺院案内

沿革

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応永年間(1414)頃 日生寺院=西念寺の前身できる
文安年間(1444)頃 日生村長智寺(真言宗)の記録あり(那智熊野山文書) 中円坊か
延徳年間(1490)頃 播州一帯に蓮如上人布教、
日生寺院「六字名号」下附、一向宗に転ず
天正8年(1580) 高瀬能登守暁明、日生に逃れ出家し庵を結ぶ(小円防か)
寛文6年(1666) 日生西念寺、神道に転ず
延宝3年(1675) 一向宗にたちかえり、赤穂万福寺より教順派遣
延宝5年(1677) 岡山光清寺へ支配替え
元禄年間(1688~) 田渕屋次郎左衛門他、日生道場独立を本山に願い出、
本山直属寺となり、門跡染筆、御直参認状許さる
毎年「寺号許可」を願い出る
宝永2年(1705) 田渕甚九郎、父亡き後志を受け継ぎ、
寺院独立を本山に強く訴える
宝永5年(1708) 本山より「寺号許可」される
宝永7年(1710) 西念寺再建始まる (1715年完成)
享保19年(1734) 田渕甚九郎歿す(甚九郎顕彰碑)
寛政2年(1790) 本堂改築着手
前本堂赤穂真木専修寺へ移築(1792年完成)
文化7年(1810) 「慧高山覚王殿西念寺」と藩主治政命名、本堂落成
天保9年(1838) 鐘楼成る
明治3年(1870) 経堂成る
明治7年(1874) 西念寺表門を佐伯土倉家から移築
明治16年(1883) 梵鐘鋳造
大正11年(1922) 本堂屋根葺替え
昭和2年(1927) 庫裡改築
昭和9年(1934) 御経堂再建、浄華院頌徳碑建立
昭和12年(1937) 日生保育園開園
昭和18年(1943) 太平洋戦争により梵鐘応招
昭和22年(1947) 梵鐘鋳造
昭和30年(1955) 庫裡再建
昭和45年(1970) 日生中央保育園認可
昭和48年(1973) 親鸞聖人銅像建立
昭和58年(1983) 本堂・客殿修復 甚九郎顕彰碑再建
昭和62年(1987) 日生保育園廃園
平成3年(1991) 四幅御絵伝修復
平成5年(1993) 宝樹院記念館落成
平成7年(1995) 日生中央保育園廃園
平成8年(1996) 阿弥陀如来絵像、蓮如上人六字名号修復
平成9年(1997) 准如上人九字、十字名号修復
平成10年(1998) 表門・泉庭・欄間・欄間絵修復